彼女はピアノを弾いた事は無かったが、崩れかけ、屋根が無くなった部屋の中で、ピアノの前の椅子に座った。
鍵盤に指を置く。
降り積もった塵のせいで、澄んでいるとは言えない、震えた、どことなく悲しげな音がした。
弾けるわけでも無いので、彼女は鍵盤を適当に叩いていた。
その時、誰かがやって来た。
その青年は、ピアノを貸してくれ、と彼女に言った。
彼女は椅子から降り、青年にピアノを貸した。
青年は、悲しげな音の出るピアノでジャズ・スタンダードをボッサ・ノヴァで弾いた。
曲調もテンポも明るいのに、悲しげなピアノの音は、何処までも悲しげだった。
青年はピアノを弾きながら歌った。
彼女には英語の歌詞は分からなかったが、所々分かる単語からすると、どうやら恋の歌らしかった。
恋の歌をボッサ・ノヴァで弾いて、屋根の無い青空の見える部屋で聞いても、そのピアノの音は、どこまでも悲しげだった。
0 件のコメント:
コメントを投稿