オリエンタリズムと日本文化論1 -「文化」の語りと近代
1、文化とは何か
高尚な「文化」、庶民的な「文化」、どちらも同じ文化である
「文化」とは、「差別化の装置」である(文化の基礎理論)
文化は
identifyに深くかかわる(文化は自己と他者を差別化する)
目に見えない規制力を持つ(文化は自主規制を要求する)←「わたしは良識ある市民である」また、外部規制とはなじまない
2、「日本」をめぐる問題
「日本人は桜が好きだ」
日本人以外を桜の好みから排除する思考
日本人は皆一緒とする思考
自分もその一員であることの確認
桜の好きな「外人」の隠ぺい
*日本人的同質性の語りは、
外向きには「日本人」による「外人」の排除として
内向きにはアイヌも沖縄も同じ日本人として隠ぺいする機能を持つ
(日本人というくくりは1900年ごろ成立)
3、「日本文化論」の虚妄性
歴史的限定性
例:武士と農民は同じ「日本人」であるという認識を持っていない
国風文化は「日本」文化か?
国風文化は貴族文化であり、現在の日本人の中で貴族の子孫は少ないが、今我々は国風文化を自己のものと認識する
「日本」をひとつのまとまりで語ることの危険性
内部と外部を同時に創り出す議論である
「わたしとあなた」の対立がたとえば「日本人と中国人の対立」として描かれる
ナショナルアイデンティティとセルフアイデンティティを混同する事(わたしとあなたという個人を日本と外国という国家にすり替える)によってしかこれらの議論は成立しない
(強い求心力──自ら「日本人」になる罠)
ある文化を考えるとき、それが日本のものか中国のものかは関係ない!
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