挨拶

2011年2月1日火曜日

日本文化史試験「中世文化史の歴史的特質」

中世文化史の歴史的特質

病草紙に見える中世人間像

授業内でもっとも印象に強く残ったのが餓鬼草紙だった。排便という日常的行為のそばに化け物がいるという絵そのもののインパクトもあったし、人間なら誰しも行う排便という行為が平安時代にどう行われていたのかという面でも興味を持った。もっとも身近に感じられる主題だったともいえる。授業内でも少し言及があったが、餓鬼草紙には近い作品として『地獄草紙』『病草紙』がある。今回僕は病草紙を主題に、餓鬼草紙との関係や、中世の人間像を探ってみたいと思う。

病草紙とは、平安時代末期から鎌倉時代初期ごろに描かれた絵巻物である。絵、詞書とも作者は未詳である。後白河法皇の命によって作成されたという説もあるようだ。さまざまな奇病を集めたものであり、現在は九図が国有となり、ほかにも各地に分蔵されているものもある。人物表現などが餓鬼草紙や地獄草紙と通じ、近い環境で書かれたものとされている。六道絵の一種として、生老病死の四苦の内、病の苦しみを取り上げたものとする説もある。しかし、内容を見る限り、仏教の教えが絡んでいる気配は僕には感じられなかった。病にまつわる説話的興味から作られたものだと考える説を支持したい。

最初に、『餓鬼草紙』と共通で見られる文化を取り上げる。

まず、全体の画風は写実的で人々の暮らしを率直に表しており、写実的な鎌倉文化に近いものである。

排便時には高下駄を履いていたということが、餓鬼草紙と共通である。病草紙の「しりの穴がたくさんある男」を描いた部分では、排泄をしている男が高下駄をはいており、餓鬼草紙の伺便餓鬼に描かれた人々と同じである。また、「霍乱の女」では、女の排泄物を餌としている犬が描かれている。伺便餓鬼の発想も、こういう所から生まれたのかもしれない。

次に、『病草紙』から見られる中世の人々の暮らしを取り上げる。

都に女がいて、美しかったので雑仕として使われていたが、女の息があまりにも臭く、寄ってきた男は逃げてしまう。ただ座っているだけでも、近くにいる人は臭さに耐え切れない。という話が載っている。描かれた口臭のひどい女は楊枝を使って歯を磨いているようである。歯磨きは仏教伝来とともに中国から伝わった習慣だそうで、平安時代から鎌倉時代にはすでに民間で楊枝が使われていたそうだ。この絵からは、中世における歯磨きの様子が分かりとても面白い。

目が見えなくなってきた男の話がある。どうやら白内障を患っているらしいこの男は、ちょうどやってきた医者に治療を頼むが、この医者の鍼治療のせいで男は失明してしまった、という話だが、平安時代にはすでに白内障の手術法があったそうで(『医心方』)、この絵はそんな治療風景を描いたものとして見れる。もっとも、この医者の手術は失敗しており、多量の血がながれている描写になっている。

さらに、中世における差別などの問題を読むこともできる。この絵巻物の絵や詞書には、病人に対して同情までは行かないにしてもある程度の憐憫を持って書かれているものもあれば、嘲笑の対象として書かれているものもある。もっとも顕著なのが「二形」を描いたもので、ここに描かれている半陰陽の人物に対しては嘲笑があり、差別があることが明確に示されている。また、半陰陽の形態も実際とは離れ、誇張されて描かれている。このことは身体的変形からくる差別の存在を表しているが、どのあたりから病人ではなく異常者として扱われていたのかまでは、病草紙では判然としない。