挨拶

2011年4月14日木曜日

木曜2限 日本倫理思想史

※板書じゃないので要点をメモしただけのものです。一部はレジュメより。

系譜学と歴史の表象

 1 系譜学への視座


歴史学←因果律

対抗

系譜学←時間は断絶している

キャッチコピー「乱反射する時間

3.11、歴史の中心は突如切り替わった

3.11まで、日本が全体で可哀想だと思っていたのは宮城県だった。宮城県が好転したわけでもないのに、突如歴史の中心は東北に移ったのである。中心が宮城から東北に移ったことは必然ではなく、因果もない。→歴史は連続していない

前近代「循環する時間」自分から子孫、この世からあの世、の連続。
近代「時間は一過性の物」人間は、あの世を否定することで近代を手に入れた。死んだら終わり。(あの世がない近代の人間は、この世で頑張るしか無い。だから、近代人は頑張れなくなったとき病気になる)

右派も左派も、歴史の連続性の上に成り立っているという点で同じである。歴史は連続していないという新しい立場が必要。

過去が持つ他者性を、近代的な言葉で飼い慣らすことが歴史を語るということ。歴史は歴史のまま語れない。歴史を語る側の人間の言葉で語られるのである。

関ヶ原の戦いについて、我々は何を知っていれば「知っている」と言う事になるのか?
起きたとき?
起きた場所?
参加した、死亡した人数?
家康や三成の思い?

南京の虐殺

中国は死亡者を30万人という。
日本は多めに見積もっても20万人だという。(中国の主張:日本は加害者なのになぜ被害者の主張を受け入れず被害者の数をねぎるのか)
だが、30万人だからどうなのか。
その30万人のうちのひとりの無念でも理解できるのか
どれだけの遺族の悲しみを知っているのか
30万人が正しいとしても、正しい被害者の数を把握することが南京の虐殺についてちゃんと「知っている」事になるのか

我々の想像を超える数字を語るとき、思考が止まる。

今、原子力発電所の見直しが声高に語られている。
だが、原子力発電所は原子力の平和利用である。なぜ原子炉を批判する前に、最初から人を殺す為に原子力を利用している原子爆弾を批判しないのか?
なぜ原子爆弾や水素爆弾の大気圏内実験をしていた国が放射線汚染で騒いでいるのか。

系譜学

今語られている歴史は物語でしかないのではないか?
本来歴史は繋がっていない。繋がっていないことを無理やりつなげようとすると、歴史は歴史家の語る物語でしかなくなる。

歴史は必然で出来ていない

歴史には偶然がある。強者が常に勝ち続けたわけでないことがその証明となるのではないか。

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