挨拶

2011年3月22日火曜日

ゆっくり悩みな

ゆっくり悩みな。悩みなんてのは大抵、一日で解決するもんだよ。残り三百六十四日は休めばいい
田村さん(入間人間『電波女と青春男 2』)

2011年2月1日火曜日

日本文化史試験「中世文化史の歴史的特質」

中世文化史の歴史的特質

病草紙に見える中世人間像

授業内でもっとも印象に強く残ったのが餓鬼草紙だった。排便という日常的行為のそばに化け物がいるという絵そのもののインパクトもあったし、人間なら誰しも行う排便という行為が平安時代にどう行われていたのかという面でも興味を持った。もっとも身近に感じられる主題だったともいえる。授業内でも少し言及があったが、餓鬼草紙には近い作品として『地獄草紙』『病草紙』がある。今回僕は病草紙を主題に、餓鬼草紙との関係や、中世の人間像を探ってみたいと思う。

病草紙とは、平安時代末期から鎌倉時代初期ごろに描かれた絵巻物である。絵、詞書とも作者は未詳である。後白河法皇の命によって作成されたという説もあるようだ。さまざまな奇病を集めたものであり、現在は九図が国有となり、ほかにも各地に分蔵されているものもある。人物表現などが餓鬼草紙や地獄草紙と通じ、近い環境で書かれたものとされている。六道絵の一種として、生老病死の四苦の内、病の苦しみを取り上げたものとする説もある。しかし、内容を見る限り、仏教の教えが絡んでいる気配は僕には感じられなかった。病にまつわる説話的興味から作られたものだと考える説を支持したい。

最初に、『餓鬼草紙』と共通で見られる文化を取り上げる。

まず、全体の画風は写実的で人々の暮らしを率直に表しており、写実的な鎌倉文化に近いものである。

排便時には高下駄を履いていたということが、餓鬼草紙と共通である。病草紙の「しりの穴がたくさんある男」を描いた部分では、排泄をしている男が高下駄をはいており、餓鬼草紙の伺便餓鬼に描かれた人々と同じである。また、「霍乱の女」では、女の排泄物を餌としている犬が描かれている。伺便餓鬼の発想も、こういう所から生まれたのかもしれない。

次に、『病草紙』から見られる中世の人々の暮らしを取り上げる。

都に女がいて、美しかったので雑仕として使われていたが、女の息があまりにも臭く、寄ってきた男は逃げてしまう。ただ座っているだけでも、近くにいる人は臭さに耐え切れない。という話が載っている。描かれた口臭のひどい女は楊枝を使って歯を磨いているようである。歯磨きは仏教伝来とともに中国から伝わった習慣だそうで、平安時代から鎌倉時代にはすでに民間で楊枝が使われていたそうだ。この絵からは、中世における歯磨きの様子が分かりとても面白い。

目が見えなくなってきた男の話がある。どうやら白内障を患っているらしいこの男は、ちょうどやってきた医者に治療を頼むが、この医者の鍼治療のせいで男は失明してしまった、という話だが、平安時代にはすでに白内障の手術法があったそうで(『医心方』)、この絵はそんな治療風景を描いたものとして見れる。もっとも、この医者の手術は失敗しており、多量の血がながれている描写になっている。

さらに、中世における差別などの問題を読むこともできる。この絵巻物の絵や詞書には、病人に対して同情までは行かないにしてもある程度の憐憫を持って書かれているものもあれば、嘲笑の対象として書かれているものもある。もっとも顕著なのが「二形」を描いたもので、ここに描かれている半陰陽の人物に対しては嘲笑があり、差別があることが明確に示されている。また、半陰陽の形態も実際とは離れ、誇張されて描かれている。このことは身体的変形からくる差別の存在を表しているが、どのあたりから病人ではなく異常者として扱われていたのかまでは、病草紙では判然としない。

2010年12月3日金曜日

日本文化学基礎演習:七夕レポート

七夕
  1. 起源
  2. 牽牛と織女の伝説
  3. 願い事の短冊
  4. 七夕の日と七夕まつり

七夕の起源
中国
漢代のころにはすでに七月七日に行事が行われていたが、この時はまだ星祭ではなかったようだ。しかし牽牛と織女の伝説の原型はあった。六世紀に書かれた『荊楚歳時記』に「七月七日は、牽牛織女、聚会の夜なり。是の夕、人家の婦女、綵縷を結び、七孔の針を穿ち、或いは金銀・鍮石を以って針と為し、几筵・酒脯・瓜果を庭中に陳ね、以って巧(=裁縫技術)を乞う。喜子(=蜘蛛)の瓜上に網すること有れば、則ち以て符応と為す」とあり、このころには完全に、七月七日は牽牛と織女の逢瀬の日であると認識されていたようだ。また、ここに「以って巧を乞う」と書かれているように、この日には乞巧奠(きっこうでん)という宮廷行事が行われた。乞巧奠は七月七日の夜に織女星を眺め、祭壇に針などを供えて技芸の上達を祈るものである。


日本
日本においてもともとタナバタという言葉は、盆を迎える準備として、祭壇の棚に標識としてのハタをつけることを言ったようだ。また、棚機女(たなばたつめ)が水辺で神の降臨を待つという民間信仰も存在し(折口信夫の説)、これらが行われる日が七月七日であった。地方により内容に違いはあるが、古来より日本ではこの日に行事を行う風習があった。

奈良時代の宮廷では、七月七日に相撲を観覧したあと、文人が七夕の詩を賦す(「賦七夕詩」)のが慣例とされていた。これの初見は『続日本紀』における天平六年(七三四)で、宮中あげての華やかさだったと推測されている。

中国の影響を受けた七夕行事は、『養老雑令』に節日と定められているので、遅くとも八世紀には、国家的儀式として定着していたようだ。

また、正倉院宝物に「七孔針」という三本の長針と四本の短針がセットになった物がある。これは『大唐六典(だいとうりくてん)』や『荊楚歳時記』に記載がある七孔金細針(七孔針)である。この針全てに糸を通すことで針仕事の上達を祈った物であり、中国の風習をそのまま受け継いでいることが分かる。


牽牛と織女の伝説
働き者の天帝の娘「織女」と同じく働き者の「牽牛」が結婚し、結婚生活の楽しさによって仕事をしなくなる。それに怒った天帝は二人を引き離したが、一年に一度七月七日だけ会う事を許す。その日には天の川にカササギが橋をかける。

という説話は、中国において長い年月をかけて形作られてきた。

牽牛・織女の名が見られるのは周代に作られた『詩経』が最古のようだが、そこではただ星の名として出てくるのみである。

漢代になると、『文選』の「古詩十九首」に「河漢清く且つ淺(あさ)し/相去ること複た幾許ぞ/盈盈(えいえい)たる一水の間/脈脈として語るを得ず」とあり、牽牛と織女が天の川(河漢)をはさんで見つめ合ったまま(脈脈:じっと見つめ合う事)話すことすらできないという内容がうたわれている。この詩では二人は会う事が出来ない。一年に一度会う事が出来る、という設定はこれ以降に付け加えられたものらしい。

魏晋南北朝時代には七月七日に二人が会う事が出来るようになり、七夕の節句と結びついた。

カササギが橋を架けるようになったのは唐代以降のようだ。

また、長い時間をかけて成立したものであるので、上記のストーリーのほかにも数多くのバリエーションが存在している。


願い事の短冊
笹に短冊をつるす風習は日本独自のもので、中国には見られない。

これが始まったのは江戸時代からで、五行説に従った五色(緑・紅・黄・白・黒)の短冊を吊るす。中国では短冊ではなく糸を吊るす。また、他の七夕飾りも江戸時代に成立した。

サトイモの葉の露で墨をすり、それで梶の葉に和歌を書き、供える風習が宮中にあり、それが庶民に広まったものとも言われている。


七夕の日と七夕祭り
七夕は旧暦の七月七日に行われていた行事である。明治6年の改暦後は新暦の七月七日に行う地域と、月遅れの八月七日に行うところに分かれた。また、旧暦の七月七日に行うところもある。

七夕祭りは江戸時代中期には存在していたが、現在では神事と関係のない観光や集客のためのイベントとなっている。これも改暦の影響で、開催日は新暦、月遅れ、旧暦の三種類に分かれている。



参考資料
藤井一二『古代日本の四季ごよみ』中公新書、1997年
橋浦泰雄『月ごとの祭り』岩崎美術社・編、1977年
日本文化いろは辞典http://iroha-japan.net/iroha/A03_goseku/04_tanabata.html

2010年8月24日火曜日

お前にとっての真実は

お前にとっての真実は、お前にしか価値がない。
だがしかし、それがお前にとっての真実であることは揺るがない。
水平線まで何マイル? :教官
教官かっこいいよ教官
自分の夢は、自分にしか価値がわからないかもしれない。でも、自分が本気で追いかけられるならば追い続けろ。教官かっこいい

2010年8月2日月曜日

哲学のテスト対策

仮説演繹法
トップダウン型の帰納法である。重力などは、一つ一つの事柄を確かめていく枚挙的帰納法では検証が困難であったことから用いられるようになった方法。一般法則を仮説として立て、仮説が正しければある条件のもとで観察できるであろう出来事を予測する。予測と観察の一致によって確からしさを増していくが、一度でも不一致があれば反証される。

ヒュームの懐疑主義
ヒュームの懐疑主義は、観察を重ねることで確からしさが増すという帰納法の前提を疑うことで始まっている。ヒュームによれば、帰納の背後には、「これから観察されるものは以前観察されたものに似ている」という斉一性原理があるが、その斉一性原理は帰納によって導かれたものであり、帰納法は循環的正当化に陥っているとされる。

ポパーの反証主義
予想と観察が一致しても、仮説が確からしくなることはないという主張。重要なのは反証であり、反証によって新しい仮説が形成され科学の進歩が行われているとする。たとえ仮説が検証されても、まだ反証されていないだけであって、反証するために観察を重ねる必要がある。反証主義において、科学と非科学との線引きは反証可能性によって行われる。反証不可能な仮説は非科学的であり、反証可能性がより高い仮説ほど科学的であるとされる。

過小決定
どんな観察も仮説に反しないよう解釈可能なので、観察によって仮説は決定されないという考え。観察予測を正確に演繹するために補助仮説群というものが存在するが、それに手をくわえる「後付けの変更」を利用することで、どんな観察結果が出ても仮説を守ることができる。そのため観察は仮説を決定することはできないとされる。

蓄積的進歩
科学は古い理論に新しい理論が積み重なって進歩していくということ。蓄積的進歩の上では、以前の理論は新しい理論の特殊ケースとして説明され、これを還元と呼ぶ。

クーンのパラダイム論
観察の理論負荷性と通約不可能性を軸とした考え。観察の理論負荷性は、観察は背景理論から独立では存在しないということで、自身の説と合わない部分をノイズとして処理してしまう。通訳不可能性とは、観察の理論負荷性により、異なる理論の間では優劣を比較することは不可能であるということをさす。科学の発展は現行のパラダイムで説明されていない現象(アノマリ)を解決することで起きるが、ときにはパラダイムそのものの転換によっても生じる。

ラカトシュのリサーチプログラム
クーンがパラダイムと呼ぶものを、ラカトシュはリサーチプログラムと呼ぶ。1つのリサーチプログラムは、固い核と防御帯からなっている。固い核は、そのプログラムの中心的主張であり、変更や放棄を行えばそのプログラムではなくなるものである。防御帯は必ずしも譲れないわけではない主張であり、不利な実験結果は防御帯を修正することで解決する。 また、プログラムが前進的かか否かは、「新奇な予言」の成功があるかないかで判断する。

ラウダンのリサーチトラディション
リサーチトラディションでは、リサーチプログラムとは違い内部に微妙な差異、変化を許容。問題解決能力、つまり説明できることの多さが増大していれば、新奇な予言の必要はない。また、後付けの説明もありそうかなさそうかで判断し、程度の問題として処理する。

奇跡論法
奇跡論法は、科学実在論を支える論拠の主なものである。成熟した科学理論は近似的に真であり、微細な条件を無視すればおおむね世界の在り方を記述している、というのが科学実在論である。奇跡論法は、もし実在論が偽であるとするなら、科学技術の成功は奇跡になってしまうという主張である。

道具主義
反実在論の一種で、理論を道具ととらえる立場である。目に見えないものに関する言明は真でも偽でもない。しかし、現象を説明、予測するのに便利であるから使用されるという主張。

構成的経験主義
反実在論の一種。目に見えないものに関する言明は真であり得る。だが、それを確かめることは科学の目的ではなく、経験的に十全な理論を組み立てることであるという主張。

ファイヤーアーベントのアナーキズム
地動説が提唱されたとき、天動説は合理的な根拠や証拠もあった。これを否定することは合理的ではなかったが、その非合理的な行動によって科学は進歩した。ファイヤーアーベントは、科学の進歩を促す唯一の方法論や合理性の基準などはなく、唯一進歩を妨げないのは"Anything goes"であるとした。

科学知識社会学
「科学者」の社会学であったマートン学派と違い、科学知識をも社会学的分析対象に組み込んだ社会学。科学の成功も失敗も社会的要因が決定する、つまり方法論の次元で決定できない事は社会的な力関係が決定するというブルアの「ストロング・プログラム」が大きく影響していた。

統計的検定法
反証主義の統計学的改良版である。反証の原則「仮説が真ならば起こり得ない現象が起きたら、仮説を放棄せよ」を、「仮説が真とするならば、非常に低い確率でしか起きないような現象が……」とすることによって過小決定の問題をクリアする。検定するには、まず検証したい仮説の否定「ゼロ仮説」と有意水準を設定、そしてゼロ仮説のもとで実験結果のような現象が起こる確率「P値」を計算する。P値が有意水準より大きいならゼロ仮説は放棄できず、元の仮説の検証に失敗する。

ベイズ主義
推定統計学の中の一つの立場。確率論におけるベイズの定理の応用。確率の主観説を説く。確率の主観説において、確立とは信念の度合いであり、統計的頻度ではない。しかし、統計的頻度と主観的確率はかけ離れることはない。証拠の積み重ねによる事後修正によって信念の度合いが変化するからである。

2010年7月30日金曜日

FirefoxでのDTDとJavaScript

DTDがあるとFirefoxでJavaScriptが動かなくなることがある。
「HTML4.01のDTDでは動作するが、他のDTDでは動作しない」など。
僕が試したのはHTML5のDTD(!DOCUTYPE html)だけだが、問題は
document.all.id
という記述らしい。
これを
document.getElementById("id")
にすれば動く。

2010年7月28日水曜日

7/15 木曜1限「自然地理学」

相対的海水準変動=気候変動+地殻変動

10.第四紀における相対的な海水準変動

(1)気候変動に伴う海水準の絶対的変動+土地の隆起・沈降


(2)土地の隆起、沈降の主な原因

a.プレート運動

(例)2004年スマトラ・アンダマン地震に伴うサンゴ礁の離水
東南海地震に伴う室戸岬の隆起と地震間の沈降

b.内陸活断層

(例)1662年寛文地震(若狭湾)、1864年象潟さきがた地震(秋田南部、海岸)
岩石海岸の地形

cf.”アイソスタシー”という概念
アロノスフェアに、リソスフェアが浮いている

c.グレイシオ・アイソスタシー

(例)最終氷期以降におけるスカンジナビア半島(北欧)の継続的隆起(9mm/yr=27m/300年)

d.ハイドロ・アイソスタシー

(例)”縄文海進”(約7000年前)とその後の”海退”
約7000年前までに海水量が現在と同程度になった
→その後、ハイドロ・アイソスタシーがゆっくり進んだ(c,dはセットで起きている!?)

11日本列島の気候・地形環境

湿潤変動帯(島国である、大陸東岸、外的営力はげしい)
┌中緯度、偏西風の影響下:温暖~冷帯湿潤気候
└明瞭な四季:4つの気団・4つの海流

島弧・海溝系に属する→地殻変動・火山活動など内的営力はげしい
内的営力の結果、土地の隆起や火山体の出現・成長が起こり、外的営力をさらに活発化させる側面もある。


  • 自然災害
  • 地球環境問題
  • 分布(地域性)メカニズム・歴史的変遷

7/12 月曜三限「哲学」

統計学的科学科学方法論II


  1. ベイズ主義


ベイズ主義

…確率論における”ベイズの定理”の応用
確率の主観説:確率=信念の度合(どれくらい信じるか?)≠統計的頻度
主観説≠なんでもあり
背景情報による一定の方向づけ
統計的頻度との両立←統計的頻度と主観的確率はかけ離れない

証拠の積み重ねによる事後修正
ベイズの定理(P=確率)

  1. Sの事後P:Tの事後P=Sの事後P×Sからの予測P:Tの事前P×Tの予測P

┌事前P:ある証拠を得る前の確からしさ
└事後P:ある証拠を得た後の確からしさ

┌予測P:その仮説が真である場合に、証拠が手に入る確からしさ
└裏予測P:その仮説が偽である場合に証拠が手に入る確からしさ

あらゆる命題について、P≦100
論理的に真な命題はP=100
二つの命題が排反であるとき、いずれかが成立する確率P=P1+P2

ベイズの定理の応用
  1. 予測P>裏予測P ⇒事後Pアップ
  2. 予測P<裏予測P ⇒事後Pダウン
  3. 予測P=裏予測P ⇒そのまま
  4. 事前Pは同じ、予測Pが異なる ⇒予測Pが高い方が事後Pも高い
  5. 事前Pが異なり、予測Pが同じ ⇒事前Pが高い方が事後Pも高い

2010年7月26日月曜日

JavaScript(とCSS3)でアナログ時計

こちら。一番下のサンプルってリンクからみられる。一応clockbase.gif, hour.gif, minute.gif, second.gif(すべて200*200px、clockbase以外は透過gifの必要あり)を用意すれば、スクリプトをコピーして自分用に作り替えることもできるはず。しかし、IEで見れないという問題点があるので、サイトに使うのは無理かもしれない。
大学の実習で作った。インデックスページは先生に向けて書いている

2010年7月20日火曜日

アイデンティティについて

毎年村上龍の「愛と幻想のファシズム」を読んでいる。
なぜ毎年読むのかと考えたところ、アイデンティティの確認の為ではないかという考えが浮上した。
アイデンティティの確認。吐き気がする言葉だと思った。凄まじい違和感があった。
まず、僕はアイデンティティを信用しない。アイデンティティは、自我同一性と訳される。自我の同一性を確固としたものとして認識する事をアイデンティティの確立と呼ぶ。
しかし、僕は自我を常に同一のものであるとは考えない。自我は常に変化する。一時たりとも同一の自我というものを持ち得ることはない。一瞬前の自分であっても、違うのだ。年が離れていた方が分かりやすいだろうが。例えば五年前の自分と会うことができ、議論することがあったならば、果たして同意は得られるだろうか。五年前の自分は別人のような思考形態をしているはずだ。
自我に同一性は存在しない。
では、愛と幻想のファシズムを毎年読むことの意味は何だろうか。
自我が常に変化するものならば、つまりそれは「自我の変化の確認」ではないかと思う。毎年同じ本を読むことで、一年分の自我の変化を感じるのだ。
もしかしたら自我の変化の確認作業は、「アイデンティティの確立」に役立つかもしれない。